みなさん、こんばんわ!
Koedoです。
今日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
みなさんは東武熊谷線と言う路線をご存じでしょうか?
東武熊谷線は以前東武鉄道に存在していた路線です(現在は廃止)。埼玉県の熊谷駅からお隣の妻沼町(現在は熊谷市)の妻沼まで、10.1kmの路線で途中に二つの駅が設けられていました。
東武鉄道では唯一の非電化路線で、単行運転の気動車がとことこ走るのどかな路線です。朝夕の通勤通学時間帯などの混雑時は2両編成での運転もありました。
※模型です。RM MODELS 2021-3月号の背景紙を使用して撮影
熊谷線は軍需路線として計画され、当初の計画では妻沼駅から北上して群馬県に入り、群馬県太田市の中島飛行機(現在のスバル)まで人員や資材を運ぶ路線とされていました。
しかし、戦争の終結により路線を延長する必要性が無くなり、利根川を渡る橋の橋脚ができた時点で工事が中止となっています。
※さらに熊谷駅から東武東上線の東松山駅まで延伸する計画もありました。
現在は東松山~熊谷~太田間は片側2車線の国道407号線が通っていて、かなりの交通量となっています。全区間が完成し東上線と乗り入れていたらどうなっただろうか、などと妄想してしまいました。
熊谷線は地元の方からは妻沼線と呼ばれて親しまれていましたが、惜しくも1983年に赤字のため廃線となってしまいました。当初の予定通りに東松山市から太田市まで抜けていたら、状況が変わっていたかもしれません。
なつかしの東武鉄道熊谷線 キハ2000
いまでは乗ることができない東武熊谷線なので、鉄道模型で楽しもうと思います。
模型は鉄道コレクションで発売された「東武鉄道キハ2000形熊谷線2両セット」です。
なお、この商品が発売される前にもブラインド販売で、一度発売されたことがあります。
実車について
それまでSLが客車をけん引していた熊谷線の無煙化のために、昭和29年に東急車両にてキハ2000形気動車3両が新造されました。
それまでのSLけん引の列車では、力が足りなくて路線途中の坂が登れず、あまりにも遅いので「カメ号」と呼ばれていました。
しかしキハ2000形の登場で大幅にスピードアップが図られ、登坂も軽々とこなすようになり、同車は親しみを込めて「特急カメ号」と呼ばれました。
車両のデザインは当時流行っていた湘南顔です。熊谷線はその輸送需要から単行運転が多かったのですが、キハ2000は液体式気動車で総括制御ができ、2両編成での運転も可能です。
車内は扉間にクロスシートを比較的多めに設定したセミクロス仕様です。特徴的なのは運転席の真横がロングシートとなっており、前面展望が可能になっていました。
客室が運転席の真横まであったのです。これは小型の気動車ですから、定員を少しでも増やすための工夫だったと思います。
模型について
模型ですがセット内容はキハ2001とキハ2003の2両が入っています。このうちのキハ2001に動力を搭載しました。
なおブラインドパッケージのほうはキハ2002ですので、こちらも含めると熊谷線に存在した3両が揃うことになります。
セットのもう1両はキハ2003です。わたしはこちらのほうは動力無しとしました。
走行化内容
この車両はTOMYTECの純正部品で走行化を行いました。下記のパーツで構成しています。
- 動力ユニット TOMYTEC TMー11R
- 走行用パーツ TOMYTEC TT-04R
この車両は塗装もせず素組みの状態となっています。そのため床下のパーツ類がプラ感が強いです。いずれ塗装をしようと思います。
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思い出の熊谷線
東武熊谷線は関東の大手私鉄の中で唯一の気動車路線と言うこともあり、少なからず注目されていました。東武鉄道ではこの熊谷線以外は、すべて電化されていますから猶更です。
そこへ廃線計画が持ち上がりましたから、余計に注目度アップです。
そんな中でわたしも熊谷線を利用したことがあります。乗車した時期は熊谷線が廃線になる2年前くらい前だったと思います。当時は頑張って乗りに行きました。
頑張ってと書いたのは、当時わたしは中学生だったのでお金がなかったんですね。中学生かつ東上線ユーザーのわたしが熊谷まで行くのは、ものすごい豪華な旅行なのですよ。
当時は東松山~熊谷間のバスがあることを知らなかったため、大宮経由で「国鉄」を乗り継いで熊谷まで行きました(まだ、JRが発足する前です)。国鉄の区間だけでも遠回りになるので意外と運賃が高いです。
それでもどうしても熊谷線に乗りたくてお小遣いをためましたね。念願がかないはじめて東武の気動車に乗った時には感動しました。
当初は熊谷から妻沼まで1往復乗って帰ろうと考えていましたが、楽しくなってしまい結局3往復しました(もちろん切符は買いましたよ)。
さらにその当時は熊谷線の駅には自動券売機(当然PASMOなどはない)がなく、切符はすべて手売りでしかも硬券でした。最後に駅員さんから「無効」印をいただいて持ち帰ったので、探せばどこかにあるかもしれません。
社会人になった今では同一県内なら思い付きで行けるようになりましたが、子供のころはそうはいきませんからね。でも、そうやって頑張って小遣いを貯めて出かけた小旅行でしたから、いまでも記憶に残っていますね。
ちなみに熊谷線の乗り心地も覚えていて、短尺レールと言うこともあり車内はまるでトランポリンでした。キハ2000は意外とスピードを出すのです。
いまは廃線となった熊谷線ですが、ところどころに線路あとも残っているようです。
また、当時走っていた「キハ2002」号は熊谷市立妻沼展示館に保存されています。車両の近くまで行けるようですので、気になった方は見学してみてはいかがでしょうか。
熊谷市立妻沼展示館:熊谷市ホームページ (kumagaya.lg.jp)
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、また!