みなさん、こんばんわ!
Koedoです。
今日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
昨日購入したTOMIXの14系・50系客車「急行 八甲田」、本日は機関車を連結して撮影しました。
また、少しだけ走らせてみましたよ~
急行八甲田 入線! ↓
機関車を連結してみた!
東北本線を走っていた夜行急行八甲田、全長700kmを超える東北本線を2機の機関車(函館延伸時は3機)を付け替えながら走っていました。
- EF65 1000(初期型) 上野⇔黒磯
- ED75 700 黒磯⇔青森
- ED79 0 青森⇔函館(延伸時のみ)
この中でわたしが所有している機関車は、ED79のみでしたので、今回はこの機関車を連結して撮影してみました。
EF65は所有しているのですが1000番台の後期型、ED75もありますが0番台の初期型です。
八甲田の旧型客車時代、12系時代であればED75の初期型がけん引していたんですけどね。14系になってからはどうだったんだろう。
EF65 1000番台の初期型とED75 700番台はいづれ導入しましょう。
所有しているED79はKATO製品で、もっとも初期に発売されたモデルです。今の新製品に比べるとディテールはあっさりです。
これを購入してからどのくらい経ちますでしょうか?20年くらい?もっとかな。しかし、今でもこの機関車は快調に走ります。
けっこう力も強いんですよ。客車12両くらいであれば楽々けん引できます。
今日は時間があまりなかったので、試験用の線路を数本つないでED79にスハフ14とマニ50を繋いで、少しだけ走らせてみました。
客車のテールライトとテールサインが、きちんと点灯するか見たいからですが、結果は全く問題無くきれいに安定して点灯しました。
写真は下り列車の延長区間(青森→函館間、快速海峡に名前が変わります)のイメージです。八甲田は函館まで延長運転される時は、臨時快速海峡号として運転されました。
こちらは上り列車としてのイメージです。上りの場合、津軽海峡線内は寝台車が機関車の次位に来ていたようです。
上り八甲田のMOTOトレイン連結時のイメージです。バイクを積んだマニ50は必ず編成の最後尾に連結されることになっていたようです。
海峡⇔八甲田は青森で方向転換しますが、その際もマニ50は編成の最後尾になるよう、付け替えられていたそうです。
バイクは油脂類を積んでいますから、火災発生時の対策として行われていたのでしょうか。
八甲田は14系化された当初は、座席車だけで運転されていましたが、最後のころにはMOTOトレインとして走っていましたので、寝台車と荷物車が連結されていました。
そのため、3種類の屋根高さの車両が連なります。旧型客車を利用した急行列車のようなデコボコ編成が面白いです。
おわりに
夜行急行八甲田が無くなって早くも20年以上が経過しました。いまは急行どころか人気のあったブルートレインまで無くなってしまうご時世ですからね。
ブルトレブームを知っている世代としては寂しい限りです。
夜行バスがあれだけ繁盛しているところをみると、夜行の公共交通機関って一定の利用者がいると思うんですよね。
この八甲田もそうですが、東海道線の「ムーンライトながら」も利用者は多かったですから。
鉄道の定時性と快適性はバスや自動車より有利だと思うんです。なので運賃とサービスをよく考えて商品化をすれば、復権はできるのではないかと思います。
まあ、夜間に走らせるとなると運行コストや保線の時間をどうするのか、などといった問題が出てくるので一筋縄ではいかないのでしょうけど。
でも、夜行列車復活してほしいですねぇ~
急行八甲田履歴
- 1961年10月 旧型客車で運転開始
- 1979年4月 12系客車に置き換え
- 1985年3月 14系客車に置き換え
- 1998年8月 廃止
Wikipediaを参照しました。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、また!